日本の三大怨霊の一つ。「平将門の祟り」|ブログインデックス

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平安時代中期、関東を代表する豪族として名を馳せた人物に「平将門」という武将がいる。将門は、その死後に起きたとされる不可解な出来事にまつわる伝説がいくつか知られており、その恐ろしい祟りは現在でも存在すると噂されている。今回は、この「日本の三大怨霊」の一つとして数えられることもある、「平将門の祟り」を紹介する。

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「平将門」という武将

平将門は、武家としての平氏の実質的な起源とされる、平良将の子として生を受けた。叔父の平国香との問題をきっかけに、朝廷を相手取って「平将門の乱」を起こすことになる。その後、関東地方を治め、「新皇」を自称して独立地方政権を作り上げたが、最終的には平貞盛らによって討ち取られた。

当時、まだ未開拓地だった関東地方を注目させた将門の功績は大きいと評価されている。また横暴な政治を行っていた朝廷に反旗を翻したことから、現在でも、将門を英雄だと評する人々が多く存在している。

「平将門」の首にまつわる伝説

日本の三大怨霊の一つ。「平将門の祟り」|ブログインデックス|画像ID:30

伝承によれば、討ち取られた後に晒し首となった平将門の首は、何ヶ月経っても腐ることはなく、まるで生きているかのように目を見開き、夜な夜な「斬られた私の五体は、どこにあるのか。ここに持って来い。首を繋いで、もう一戦しようではないか」と叫び続けたため、村人は恐怖したという。

ある時、この晒し首を見た歌人の藤六左近が、「将門は こめかみよりぞ 斬られける 俵藤太が はかりごとにて」と歌を詠むと、将門はケラケラと笑い声をあげ、たちまち朽ち果てたということである。

また一説では将門の晒し首は、関東を目指して空高く飛び去ったとも伝えられており、途中で力尽きて地上に落下したとも言われている。この将門の首に関連して、各地には様々な首塚伝承が確認されている。

「平将門の首塚」にまつわる祟り

日本の三大怨霊の一つ。「平将門の祟り」|ブログインデックス|画像ID:9

東京都千代田区大手町の一角には「平将門の首塚」という、平将門の首を祀っている塚が存在する。この場所は、関東を目指して空高く飛び去った将門の晒し首が、途中で力尽きて落下した地点の一つだとされている。

またこの首塚は、過去に建て替え工事などを行った際、工事関係者や省職員の中から謎の不審死を遂げる者が相次いだことでも知られている。

  • 1923年

関東大震災により大手町一帯が瓦礫の山となったため、国は首塚を取り壊し、土地を整理して大蔵省仮庁舎を建設した。しかし、それ以来、大蔵省仮庁舎で役人が謎の病気にかかる事態が続出し、当時の大蔵大臣を含む、幹部14人が相次いで亡くなった。このことから「平将門の祟り」の噂が広まり、国はこの事態を重く受け止め、建てたばかりの大蔵省仮庁舎の一部を取り壊すこととなった。

  • 1940年

雷が出火原因とされる火災により、大蔵省仮庁舎が全焼する。この時、地元の人々から「首塚の供養を疎かにしているからではないか」という意見が挙がったため、国は首塚に古跡保存碑を建立している。

  • 1945年

日本に進駐してきたGHQが、首塚の周辺を駐車場にしようと計画し、この年の暮れに首塚の撤去工事を開始する。しかし、工事が開始されると作業中のブルドーザーが突然転倒し、このブルドーザーを操作していた男性が死亡するという悲惨な事故が起きた。その後、地元の人々から「平将門の祟り」に関する情報を聞かされたGHQは、首塚の撤去工事を中止している。

また現在では、隣接する建物は首塚を見下ろすことができないように首塚に対する面には窓は設けておらず、ビルは首塚に対して管理職が尻を向けないように、特別な机の配置がされているという噂などが存在しているが、その真相は定かではない。

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管理人から一言

「平将門の首塚」には、遊び半分で行かないように…。

「平将門」という武将

平将門は、武家としての平氏の実質的な起源とされる、平良将の子として生を受けた。叔父の平国香との問題をきっかけに、朝廷を相手取って「平将門の乱」を起こすことになる。その後、関東地方を治め、「新皇」を自称して独立地方政権を作り上げたが、最終的には平貞盛らによって討ち取られた。

当時、まだ未開拓地だった関東地方を注目させた将門の功績は大きいと評価されている。また横暴な政治を行っていた朝廷に反旗を翻したことから、現在でも、将門を英雄だと評する人々が多く存在している。

「平将門」の首にまつわる伝説

日本の三大怨霊の一つ。「平将門の祟り」|ブログインデックス|画像ID:30

伝承によれば、討ち取られた後に晒し首となった平将門の首は、何ヶ月経っても腐ることはなく、まるで生きているかのように目を見開き、夜な夜な「斬られた私の五体は、どこにあるのか。ここに持って来い。首を繋いで、もう一戦しようではないか」と叫び続けたため、村人は恐怖したという。

ある時、この晒し首を見た歌人の藤六左近が、「将門は こめかみよりぞ 斬られける 俵藤太が はかりごとにて」と歌を詠むと、将門はケラケラと笑い声をあげ、たちまち朽ち果てたということである。

また一説では将門の晒し首は、関東を目指して空高く飛び去ったとも伝えられており、途中で力尽きて地上に落下したとも言われている。この将門の首に関連して、各地には様々な首塚伝承が確認されている。

「平将門の首塚」にまつわる祟り

日本の三大怨霊の一つ。「平将門の祟り」|ブログインデックス|画像ID:9

東京都千代田区大手町の一角には「平将門の首塚」という、平将門の首を祀っている塚が存在する。この場所は、関東を目指して空高く飛び去った将門の晒し首が、途中で力尽きて落下した地点の一つだとされている。

またこの首塚は、過去に建て替え工事などを行った際、工事関係者や省職員の中から謎の不審死を遂げる者が相次いだことでも知られている。

  • 1923年

関東大震災により大手町一帯が瓦礫の山となったため、国は首塚を取り壊し、土地を整理して大蔵省仮庁舎を建設した。しかし、それ以来、大蔵省仮庁舎で役人が謎の病気にかかる事態が続出し、当時の大蔵大臣を含む、幹部14人が相次いで亡くなった。このことから「平将門の祟り」の噂が広まり、国はこの事態を重く受け止め、建てたばかりの大蔵省仮庁舎の一部を取り壊すこととなった。

  • 1940年

雷が出火原因とされる火災により、大蔵省仮庁舎が全焼する。この時、地元の人々から「首塚の供養を疎かにしているからではないか」という意見が挙がったため、国は首塚に古跡保存碑を建立している。

  • 1945年

日本に進駐してきたGHQが、首塚の周辺を駐車場にしようと計画し、この年の暮れに首塚の撤去工事を開始する。しかし、工事が開始されると作業中のブルドーザーが突然転倒し、このブルドーザーを操作していた男性が死亡するという悲惨な事故が起きた。その後、地元の人々から「平将門の祟り」に関する情報を聞かされたGHQは、首塚の撤去工事を中止している。

また現在では、隣接する建物は首塚を見下ろすことができないように首塚に対する面には窓は設けておらず、ビルは首塚に対して管理職が尻を向けないように、特別な机の配置がされているという噂などが存在しているが、その真相は定かではない。

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管理人から一言

「平将門の首塚」には、遊び半分で行かないように…。

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