捕虜を使って人体実験?「731部隊」とは?|ブログインデックス

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「731部隊」とは、第二次世界大戦中の大日本帝国陸軍において、生物兵器の研究・開発を目的として数多くの残虐な人体実験を行っていたとされている部隊のことである。その人体実験の被験者には主に捕虜が選ばれており、被験者は「マルタ」と呼ばれて非人道的な扱いを受け、その犠牲者の数は約3,000人にも上ったという。この部隊は、初代部隊長である石井四郎の名前にちなみ、「石井部隊」とも呼ばれている。

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「731部隊」の沿革

1932年8月、陸軍軍医学校防疫部の地下室に防疫研究室が開設された。この研究室には軍医の石井四郎を含む、5人の軍医が配属され、当時の軍隊において重要とされていた伝染病の予防に関する研究が行われることになった。

1933年の秋頃、当時日本の支配下にあった満州のハルビン市にて新たな研究施設が設置されることになり、出先機関として関東軍防疫班が組織された。この頃、関東軍防疫班は石井四郎の変名である「東郷ハジメ」という名前にちなみ、「東郷部隊」と呼ばれることが多かったという。

1936年4月23日、当時の関東軍参謀長である板垣征四郎の提案により、新たに関東軍防疫部が新設された。この関東軍防疫部は「加茂部隊」とも呼ばれており、その呼び名は石井四郎の出身地でもある集落の地名に由来している。また1936年12月時点での関東軍防疫部の所属人員は、軍人65人・軍属105人だったという。

1940年7月、関東軍防疫部は関東軍防疫給水部に改編され、その本部は関東軍防衛給水部本部(通称:731部隊)となった。731部隊の初代部隊長には石井四郎が選出され、石井四郎による指揮のもと、主に生物兵器の研究・開発が行われていった。この時点での関東軍防疫給水部全体の所属人員は、軍人1,235人・軍属2,005人に増加しており、当時としては巨額の年間200万円もの研究費が投じられていた。

1942年8月、731部隊の部隊長が、石井四郎から北野政次へと引き継がれることになった。また終戦直前である1945年の所属人員は、軍人1,344人・軍属2,208人だったという。

1945年8月8日、ソ連対日参戦により、731部隊を含む関東軍防疫給水部は日本本土への撤退を迫られることになった。この撤退の際に部隊長を退いた後も影響力のあった石井四郎は、生物兵器の研究・開発に関する全ての証拠隠滅を指示したという。

人体実験の内容

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731部隊では、生物兵器の研究・開発を目的として秘密裏に数多くの残虐な人体実験が行われていたとされている。その人体実験の被験者には、主に朝鮮人・中国人・モンゴル人・アメリカ人・旧ソ連人などの捕虜が選ばれており、満州のハルビン市に研究施設が設置された理由については、大勢の捕虜を入手するためだったと考えられている。

その人体実験の被験者からは人格と名前が剥奪され、被験者は「マルタ」と呼ばれていた。被験者には名前の代わりに3ケタの番号が割り当てられ、重い足かせを取り付けられるなどの非人道的な扱いがされており、その犠牲者の数は妊婦や赤ん坊を含めて約3,000人にも上ったという。

下記は731部隊によって行われたという、人体実験の内容である。

  • 細菌学的な実験

これは人体にペスト・コレラ・チフス・赤痢・梅毒・スピロヘータなどの様々な伝染病の生菌を注射し、経過の観察を記録してデータを取る実験のことである。この実験では、被験者は死亡する直前に生きたまま解剖され、臓器の状態も観察・記録されたという。これは死亡した後では体内に雑菌が繁殖するため、新鮮な状態で臓器を確認するためだと言われている。

  • 生理学的な実験

これは人体が凍傷・被弾・ガス壊疽などによって損傷した際、どのくらいの期間持ち堪えることができるのか、あるいはどのような治療法が適切であるのかを調べる実験のことである。

具体的なものとしては、「全裸状態の被験者を-40~50℃の冷凍室の中へと閉じ込め、死亡するまでの過程を観察する」、「土のうを背負わせた被験者に食事と睡眠を与えないまま、坦々と走り続けさせ、どのくらいの期間生きられるのか観察する」、「水だけを与え続けた被験者が、どのくらいの期間生きられるのか観察する」などの実験が行われていたことが、後に731部隊の元部員による証言で明らかとなっている。

  • 手術の練習

これは被験者の四肢を切断したり、気管を切開するなどして、故意に損傷させた人体を使い、手術の練習を行う実験のことである。この実験は戦場において損傷した兵士を素早く治療し、戦場へと送り返すには軍医が手術の腕をあげる必要があったため、頻繁に行われていたという。また元軍医の湯浅謙は、中国に滞在していた約3年半もの間に中国人の捕虜を使い、何度も手術の練習を行ったことを証言している。

撤退後の証拠隠滅

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1945年8月8日、ソ連対日参戦により、731部隊を含む関東軍防疫給水部は日本本土への撤退を迫られることになった。撤退の際には人体実験の証拠隠滅が最優先事項とされ、被験者として収容されていた約40人もの人々が毒ガスにより殺害されることになった。この時、被験者の多くは毒ガスでは死に切れず、鋼鉄製のドアを叩いて苦悶の唸り声を上げたため、結局は銃殺されたという。その後、被験者の遺体は大きな穴に放り込まれ、ガソリンと重油を使って焼却されている。

731部隊が証拠隠滅を図ったものは被験者の遺体だけではなく、ホルマリン漬けにされた生首・胴体・腕・脚・内臓などの大量の標本も含まれていたという。その数は約1,000個以上にも上り、大きな穴に集められ、重油を使って焼却されている。その後、731部隊によって使用された、いくつかの研究施設は爆薬によって破壊されている。

日本政府への賠償請求訴訟

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1997年8月11日、中華人民共和国の180人からなる原告団が日本政府に対し、第二次世界大戦中の731部隊がジュネーヴ議定書に違反する行為を行っていたとして、原告者一人につき各1,000万円の支払いを求める賠償請求訴訟を行った。

2007年5月9日、この訴訟は原告団側の敗訴が確定しているが、日本の最高裁判所は大日本帝国陸軍の731部隊を含む、関東軍防疫給水部が生物兵器の研究・開発を行っていたという事実については認めている。

余談ではあるが、731部隊のイメージとしてよく知られている、映画「黒い太陽七三一シリーズ」については、その製作元が香港であり、出演者は全て中国人俳優であるためか、意図的に反日感情を抱かせるような表現が目立つ内容となっており、視聴する際には注意してほしい。

関連動画

管理人から一言

やっぱり、みんな仲良しが一番です…。

「731部隊」の沿革

1932年8月、陸軍軍医学校防疫部の地下室に防疫研究室が開設された。この研究室には軍医の石井四郎を含む、5人の軍医が配属され、当時の軍隊において重要とされていた伝染病の予防に関する研究が行われることになった。

1933年の秋頃、当時日本の支配下にあった満州のハルビン市にて新たな研究施設が設置されることになり、出先機関として関東軍防疫班が組織された。この頃、関東軍防疫班は石井四郎の変名である「東郷ハジメ」という名前にちなみ、「東郷部隊」と呼ばれることが多かったという。

1936年4月23日、当時の関東軍参謀長である板垣征四郎の提案により、新たに関東軍防疫部が新設された。この関東軍防疫部は「加茂部隊」とも呼ばれており、その呼び名は石井四郎の出身地でもある集落の地名に由来している。また1936年12月時点での関東軍防疫部の所属人員は、軍人65人・軍属105人だったという。

1940年7月、関東軍防疫部は関東軍防疫給水部に改編され、その本部は関東軍防衛給水部本部(通称:731部隊)となった。731部隊の初代部隊長には石井四郎が選出され、石井四郎による指揮のもと、主に生物兵器の研究・開発が行われていった。この時点での関東軍防疫給水部全体の所属人員は、軍人1,235人・軍属2,005人に増加しており、当時としては巨額の年間200万円もの研究費が投じられていた。

1942年8月、731部隊の部隊長が、石井四郎から北野政次へと引き継がれることになった。また終戦直前である1945年の所属人員は、軍人1,344人・軍属2,208人だったという。

1945年8月8日、ソ連対日参戦により、731部隊を含む関東軍防疫給水部は日本本土への撤退を迫られることになった。この撤退の際に部隊長を退いた後も影響力のあった石井四郎は、生物兵器の研究・開発に関する全ての証拠隠滅を指示したという。

人体実験の内容

捕虜を使って人体実験?「731部隊」とは?|ブログインデックス|画像ID:25

731部隊では、生物兵器の研究・開発を目的として秘密裏に数多くの残虐な人体実験が行われていたとされている。その人体実験の被験者には、主に朝鮮人・中国人・モンゴル人・アメリカ人・旧ソ連人などの捕虜が選ばれており、満州のハルビン市に研究施設が設置された理由については、大勢の捕虜を入手するためだったと考えられている。

その人体実験の被験者からは人格と名前が剥奪され、被験者は「マルタ」と呼ばれていた。被験者には名前の代わりに3ケタの番号が割り当てられ、重い足かせを取り付けられるなどの非人道的な扱いがされており、その犠牲者の数は妊婦や赤ん坊を含めて約3,000人にも上ったという。

下記は731部隊によって行われたという、人体実験の内容である。

  • 細菌学的な実験

これは人体にペスト・コレラ・チフス・赤痢・梅毒・スピロヘータなどの様々な伝染病の生菌を注射し、経過の観察を記録してデータを取る実験のことである。この実験では、被験者は死亡する直前に生きたまま解剖され、臓器の状態も観察・記録されたという。これは死亡した後では体内に雑菌が繁殖するため、新鮮な状態で臓器を確認するためだと言われている。

  • 生理学的な実験

これは人体が凍傷・被弾・ガス壊疽などによって損傷した際、どのくらいの期間持ち堪えることができるのか、あるいはどのような治療法が適切であるのかを調べる実験のことである。

具体的なものとしては、「全裸状態の被験者を-40~50℃の冷凍室の中へと閉じ込め、死亡するまでの過程を観察する」、「土のうを背負わせた被験者に食事と睡眠を与えないまま、坦々と走り続けさせ、どのくらいの期間生きられるのか観察する」、「水だけを与え続けた被験者が、どのくらいの期間生きられるのか観察する」などの実験が行われていたことが、後に731部隊の元部員による証言で明らかとなっている。

  • 手術の練習

これは被験者の四肢を切断したり、気管を切開するなどして、故意に損傷させた人体を使い、手術の練習を行う実験のことである。この実験は戦場において損傷した兵士を素早く治療し、戦場へと送り返すには軍医が手術の腕をあげる必要があったため、頻繁に行われていたという。また元軍医の湯浅謙は、中国に滞在していた約3年半もの間に中国人の捕虜を使い、何度も手術の練習を行ったことを証言している。

撤退後の証拠隠滅

捕虜を使って人体実験?「731部隊」とは?|ブログインデックス|画像ID:2

1945年8月8日、ソ連対日参戦により、731部隊を含む関東軍防疫給水部は日本本土への撤退を迫られることになった。撤退の際には人体実験の証拠隠滅が最優先事項とされ、被験者として収容されていた約40人もの人々が毒ガスにより殺害されることになった。この時、被験者の多くは毒ガスでは死に切れず、鋼鉄製のドアを叩いて苦悶の唸り声を上げたため、結局は銃殺されたという。その後、被験者の遺体は大きな穴に放り込まれ、ガソリンと重油を使って焼却されている。

731部隊が証拠隠滅を図ったものは被験者の遺体だけではなく、ホルマリン漬けにされた生首・胴体・腕・脚・内臓などの大量の標本も含まれていたという。その数は約1,000個以上にも上り、大きな穴に集められ、重油を使って焼却されている。その後、731部隊によって使用された、いくつかの研究施設は爆薬によって破壊されている。

日本政府への賠償請求訴訟

捕虜を使って人体実験?「731部隊」とは?|ブログインデックス|画像ID:12

1997年8月11日、中華人民共和国の180人からなる原告団が日本政府に対し、第二次世界大戦中の731部隊がジュネーヴ議定書に違反する行為を行っていたとして、原告者一人につき各1,000万円の支払いを求める賠償請求訴訟を行った。

2007年5月9日、この訴訟は原告団側の敗訴が確定しているが、日本の最高裁判所は大日本帝国陸軍の731部隊を含む、関東軍防疫給水部が生物兵器の研究・開発を行っていたという事実については認めている。

余談ではあるが、731部隊のイメージとしてよく知られている、映画「黒い太陽七三一シリーズ」については、その製作元が香港であり、出演者は全て中国人俳優であるためか、意図的に反日感情を抱かせるような表現が目立つ内容となっており、視聴する際には注意してほしい。

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管理人から一言

やっぱり、みんな仲良しが一番です…。

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