完全なる無法地帯。巨大なスラム街「九龍城砦」とは?|ブログインデックス

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「九龍城砦」とは、1990年代初頭まで現在の香港に実在していた、巨大なスラム街のことである。かつては、「完全なる無法地帯」とも呼ばれていた。現在は取り壊されており、その跡地には「九龍寨城公園」が造られている。また元々の正式名称は「九龍寨城」であった。

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「九龍城砦」の沿革

1898年、イギリスが清朝から香港周辺にあった200余りの島々を、99年もの間、自国の租借地とする。この時、「九龍城砦」は対象範囲に該当していたが、例外として除外される。その後、イギリスの圧力で「九龍城砦」から軍隊や役人などが排除され、中華民国の成立以降は事実上、どこの国の法も及ばない「完全なる無法地帯」となる。

1941年から1945年にかけて、日本軍による香港占領期間中に他の建物の建築材料とするため、城壁の一部が取り壊される。その後、1940年代の中国内戦と、1949年の中華人民共和国の設立により、中国大陸から大量の流民が押し寄せ、それぞれにバラックを建設し、一つの巨大なスラム街となる。

1960年代から1970年代にかけて、無計画な増築による複雑な建築構造と無法地帯という状況から、「東洋の魔窟」とも呼ばれていた。しかし、1984年の英中共同声明により、香港が1997年に中華人民共和国に返還されることが確定したため、1987年に香港政庁が「『九龍城砦』を取り壊し、その住民を強制移住させる」という方針を発表する。

その後、1993年から1994年にかけて、取り壊し工事が着工され、再開発後には、現在の「九龍寨城公園」が造られた。現在、その周辺には小規模のサッカー場やバスケットボールのコート、マウンテンバイクの走行コースなどを有する「賈炳達道公園」、巨大なショッピングセンター「九龍城廣場」などが隣接しており、閑静な住宅街となっている。

当時の生活環境

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「九龍城砦」の生活環境については、長い期間「無法地帯」とされていたこともあって、暗く混沌とした雰囲気を漂わせており、劣悪の極みに至っていたという。具体的な例は、下記の通りである。

  • 1951年頃、不審火が原因と思われる謎の火災が発生し、3000軒以上の家が焼失した
  • 1963年以降、上水道の供給設備が整備されたが、需要には到底追いつかず、住民は自ら業者に依頼して供給を受けていた
  • 1970年代から下水道が導入されたが、それまでは排水溝に廃棄されていたため、井戸水が汚染され、衛生面は非常に悪化していた
  • 1977年以降、電気の供給が開始されたが、多くの住民は違法な引き込み線を設置していた
  • 屋上では、その数十メートル頭上を巨大な旅客機が、空港へと離着陸するために絶えず通過していた
  • 建物は他の規制を無視しており、計画や設計図を行政に提出していなかったため、ラフスケッチ程度で作られた粗末な建物が多かった
  • 建物内の通路には、住民が勝手に引いた電気、電話線、アンテナの同軸ケーブルなどが、無計画に管となって張られ、束で頭上を通過していた
  • 「防災」という観念は一切考えられていなかったため、建物が何十にも折り重なり、日の光が一日中入らない部屋や窓のない部屋がほとんどだった

しかし、住民の結束力は強く、一丸となって団結していたため、小学校や中学校に相当する教育施設が住民によって運営され、また老人ホームに相当する老人福祉施設も備えられていたということである。

「九龍城砦」による影響

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「九龍城砦」から、「秘境的なイメージ」を受ける人々が多かったため、日本では1980年代頃に一部でカルト的な人気があり、「観光バスで乗り付け、内部を探索するツアー」というものまで存在していたという。

取り壊しの決定後には、日本のマスコミも現地へ取材に訪れており、建物が解体される際には、マスコミによって報道された。また立ち退きの際に最後まで内部に残っていたのは、日本のテレビ局員だったと言われている。

歴史上、稀に見る規模で展開されたこのスラム街は、「学術的に見ても、その資料的価値は非常に大きい」という意見もある。またその建物の数々は、現在の建築学の面において、アジアの都市構造を象徴する、貴重なサンプルの一つとなっている。

参考画像

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関連動画

管理人から一言

取り壊さずに保存しておいた方が、お金になったと思うんです…。

「九龍城砦」の沿革

1898年、イギリスが清朝から香港周辺にあった200余りの島々を、99年もの間、自国の租借地とする。この時、「九龍城砦」は対象範囲に該当していたが、例外として除外される。その後、イギリスの圧力で「九龍城砦」から軍隊や役人などが排除され、中華民国の成立以降は事実上、どこの国の法も及ばない「完全なる無法地帯」となる。

1941年から1945年にかけて、日本軍による香港占領期間中に他の建物の建築材料とするため、城壁の一部が取り壊される。その後、1940年代の中国内戦と、1949年の中華人民共和国の設立により、中国大陸から大量の流民が押し寄せ、それぞれにバラックを建設し、一つの巨大なスラム街となる。

1960年代から1970年代にかけて、無計画な増築による複雑な建築構造と無法地帯という状況から、「東洋の魔窟」とも呼ばれていた。しかし、1984年の英中共同声明により、香港が1997年に中華人民共和国に返還されることが確定したため、1987年に香港政庁が「『九龍城砦』を取り壊し、その住民を強制移住させる」という方針を発表する。

その後、1993年から1994年にかけて、取り壊し工事が着工され、再開発後には、現在の「九龍寨城公園」が造られた。現在、その周辺には小規模のサッカー場やバスケットボールのコート、マウンテンバイクの走行コースなどを有する「賈炳達道公園」、巨大なショッピングセンター「九龍城廣場」などが隣接しており、閑静な住宅街となっている。

当時の生活環境

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「九龍城砦」の生活環境については、長い期間「無法地帯」とされていたこともあって、暗く混沌とした雰囲気を漂わせており、劣悪の極みに至っていたという。具体的な例は、下記の通りである。

  • 1951年頃、不審火が原因と思われる謎の火災が発生し、3000軒以上の家が焼失した
  • 1963年以降、上水道の供給設備が整備されたが、需要には到底追いつかず、住民は自ら業者に依頼して供給を受けていた
  • 1970年代から下水道が導入されたが、それまでは排水溝に廃棄されていたため、井戸水が汚染され、衛生面は非常に悪化していた
  • 1977年以降、電気の供給が開始されたが、多くの住民は違法な引き込み線を設置していた
  • 屋上では、その数十メートル頭上を巨大な旅客機が、空港へと離着陸するために絶えず通過していた
  • 建物は他の規制を無視しており、計画や設計図を行政に提出していなかったため、ラフスケッチ程度で作られた粗末な建物が多かった
  • 建物内の通路には、住民が勝手に引いた電気、電話線、アンテナの同軸ケーブルなどが、無計画に管となって張られ、束で頭上を通過していた
  • 「防災」という観念は一切考えられていなかったため、建物が何十にも折り重なり、日の光が一日中入らない部屋や窓のない部屋がほとんどだった

しかし、住民の結束力は強く、一丸となって団結していたため、小学校や中学校に相当する教育施設が住民によって運営され、また老人ホームに相当する老人福祉施設も備えられていたということである。

「九龍城砦」による影響

完全なる無法地帯。巨大なスラム街「九龍城砦」とは?|ブログインデックス|画像ID:23

「九龍城砦」から、「秘境的なイメージ」を受ける人々が多かったため、日本では1980年代頃に一部でカルト的な人気があり、「観光バスで乗り付け、内部を探索するツアー」というものまで存在していたという。

取り壊しの決定後には、日本のマスコミも現地へ取材に訪れており、建物が解体される際には、マスコミによって報道された。また立ち退きの際に最後まで内部に残っていたのは、日本のテレビ局員だったと言われている。

歴史上、稀に見る規模で展開されたこのスラム街は、「学術的に見ても、その資料的価値は非常に大きい」という意見もある。またその建物の数々は、現在の建築学の面において、アジアの都市構造を象徴する、貴重なサンプルの一つとなっている。

参考画像

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取り壊さずに保存しておいた方が、お金になったと思うんです…。

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