アメリカで有名な謎の落書き。「キルロイ参上」|ブログインデックス

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「キルロイ参上(Kilroy was here)」とは、アメリカ合衆国の各地に描かれている、謎の落書きのことである。この落書きは、壁の向こうから長い鼻を垂らし、こちらを覗いているキャラクターの姿を描いたものであり、第二次世界大戦の頃には既に確認されていたと言われている。

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「キルロイ参上」に関する逸話

「キルロイ参上」については、第二次世界大戦に関連した様々な逸話が存在する。

アドルフ・ヒトラーは、第二次世界大戦中にドイツ軍によって捕らえられたアメリカ軍捕虜の装備から、この落書きがいくつも見つかったため、「キルロイという人物は、どんなところにでも容易に入り込むことができる、連合軍の超人的なスパイなのではないか」と恐れていたという。

またヨシフ・スターリンは、ポツダム会談に出席した際、専用の屋外トイレに入り、用を足して出てきた後、一言「キルロイとは誰だ?」と補佐官に尋ねたと言われている。

「キルロイ参上」の起源とされる説

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「キルロイ参上」の落書きが生まれた起源については、複数の説が存在する。

  • ジェームス・J・キルロイ説

これは「アメリカの造船所で働いていた検査官『ジェームス・J・キルロイ』が起源なのではないか」という説である。第二次世界大戦中、彼はマサチューセッツ州クインシーのベスレヘム・スチールフォアリバー造船所でリベットにチョークを使い、検査後の印としてこの落書きの原型となるサインを描いていたと言われている。この頃、船は細かな箇所までは塗装されず、軍に納品されていたため、この落書きの多さと不可解性から「キルロイ参上」のフレーズは、軍の中で一種の伝説となったのだという。

1946年、ニューヨーク・タイムズは「ジェームス・J・キルロイによる、船を建造した印として残したサインが、『キルロイ参上』の起源である」という記事を掲載した。その根拠として、封鎖区画などの一般人が決して立ち入ることができない場所にこの落書きが確認されたことを強調し、誰かに見せる目的で描かれたものではないと説明している。

  • 恋人の女性を待つ兵士説

これは「ボストンの造船所で働いていた、アイルランド人のキルロイが起源なのではないか」という説である。第二次世界大戦中、リベットの点検職に就いていた彼のところに召集令状が届く。彼は軍隊に召集されるまでの間、毎夜馴染みのレストランで恋人の女性と会い、残された時間を大切に過ごしていた。そして、軍隊に召集される前夜、キルロイは彼女にプロポーズする決意を固め、いつものレストランで彼女を待っていたが、いつまで経っても彼女が姿を現すことはなかった。やがて、彼はレストランの主人の許しを得て、いつものテーブルに「Kilroy was here(キルロイは、ここにいたよ)」というメッセージと、彼女のお気に入りだった長い鼻を持つ、妖精の絵を刻み込んで立ち去った。この頃、ボストンには軍の関係者が多く滞在しており、このメッセージは彼らの間で広まったものとされている。

また、この話には後日談が存在する。その後、キルロイは無事に帰国し、昔に馴染みのあったレストランへと訪れた。彼の姿を見つけた店の主人は、彼の恋人に連絡を取り、二人は再開を果たすことができた。あの夜、彼女は交通事故に遭ってしまい、レストランには来られなかったのだという。そして、キルロイのメッセージは恋人にしっかりと伝わっており、彼女は彼の帰還をずっと待っていたのである。

  • レッドソックスのファンという説

これは「壁の向こう側から野球の試合を観戦していたキルロイという男が、モデルとなったのではないか」という説である。長い鼻が特徴的なボストン在住のキルロイは、大のレッドソックス・ファンであり、学校を抜け出しては、フェンウェイパークのレフトスタンド側の壁越しに試合を観戦していた。第二次世界大戦中、そんな彼にも召集令状が届き、彼は砲撃手となった。ノルマンディー上陸作戦で彼の部隊がフランスに赴任した時、そのフランスの司令官シャルル・ド・ゴールに非常によく似た長い鼻が、ドワイト・D・アイゼンハワー最高司令官の目に止まり、彼はド・ゴールの偽物を演じるように命じられる。フランス軍服を着た数人の兵士と共にド・ゴールに成りきったキルロイは、悠然とポーズを取り、敵のスパイを引き付けた。結果、敵軍の戦力は分散され、手薄となったところを連合軍本体が攻め入り、作戦は成功を収めた。

この時、彼の仲間は無事に生還したキルロイを祝し、至る所に「Kilroy was here」という落書きをしたため、それが後に広まったものとされている。その後、戦後退役した彼は、愛するレッドソックスをグリーンモンスターの上から眺め、応援し続けたという。

現在の「キルロイ参上」

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現在でも「キルロイ参上」の落書きは、アメリカ合衆国の軍隊を中心に健在であり、1991年の湾岸戦争では、クウェートに残された対空砲にこの落書きが描かれている。

また奇想天外な場所に、この落書きがされているという憶測も飛び交っている。例えば、自由の女神像が持つ松明、パリのエトワール凱旋門、中国の盧溝橋、ポリネシアの小屋、果てはエベレストの山頂などであるが、その真相は定かではない。

関連動画

管理人から一言

日本でも、探せば見つかりそうですね…。

「キルロイ参上」に関する逸話

「キルロイ参上」については、第二次世界大戦に関連した様々な逸話が存在する。

アドルフ・ヒトラーは、第二次世界大戦中にドイツ軍によって捕らえられたアメリカ軍捕虜の装備から、この落書きがいくつも見つかったため、「キルロイという人物は、どんなところにでも容易に入り込むことができる、連合軍の超人的なスパイなのではないか」と恐れていたという。

またヨシフ・スターリンは、ポツダム会談に出席した際、専用の屋外トイレに入り、用を足して出てきた後、一言「キルロイとは誰だ?」と補佐官に尋ねたと言われている。

「キルロイ参上」の起源とされる説

アメリカで有名な謎の落書き。「キルロイ参上」|ブログインデックス|画像ID:20

「キルロイ参上」の落書きが生まれた起源については、複数の説が存在する。

  • ジェームス・J・キルロイ説

これは「アメリカの造船所で働いていた検査官『ジェームス・J・キルロイ』が起源なのではないか」という説である。第二次世界大戦中、彼はマサチューセッツ州クインシーのベスレヘム・スチールフォアリバー造船所でリベットにチョークを使い、検査後の印としてこの落書きの原型となるサインを描いていたと言われている。この頃、船は細かな箇所までは塗装されず、軍に納品されていたため、この落書きの多さと不可解性から「キルロイ参上」のフレーズは、軍の中で一種の伝説となったのだという。

1946年、ニューヨーク・タイムズは「ジェームス・J・キルロイによる、船を建造した印として残したサインが、『キルロイ参上』の起源である」という記事を掲載した。その根拠として、封鎖区画などの一般人が決して立ち入ることができない場所にこの落書きが確認されたことを強調し、誰かに見せる目的で描かれたものではないと説明している。

  • 恋人の女性を待つ兵士説

これは「ボストンの造船所で働いていた、アイルランド人のキルロイが起源なのではないか」という説である。第二次世界大戦中、リベットの点検職に就いていた彼のところに召集令状が届く。彼は軍隊に召集されるまでの間、毎夜馴染みのレストランで恋人の女性と会い、残された時間を大切に過ごしていた。そして、軍隊に召集される前夜、キルロイは彼女にプロポーズする決意を固め、いつものレストランで彼女を待っていたが、いつまで経っても彼女が姿を現すことはなかった。やがて、彼はレストランの主人の許しを得て、いつものテーブルに「Kilroy was here(キルロイは、ここにいたよ)」というメッセージと、彼女のお気に入りだった長い鼻を持つ、妖精の絵を刻み込んで立ち去った。この頃、ボストンには軍の関係者が多く滞在しており、このメッセージは彼らの間で広まったものとされている。

また、この話には後日談が存在する。その後、キルロイは無事に帰国し、昔に馴染みのあったレストランへと訪れた。彼の姿を見つけた店の主人は、彼の恋人に連絡を取り、二人は再開を果たすことができた。あの夜、彼女は交通事故に遭ってしまい、レストランには来られなかったのだという。そして、キルロイのメッセージは恋人にしっかりと伝わっており、彼女は彼の帰還をずっと待っていたのである。

  • レッドソックスのファンという説

これは「壁の向こう側から野球の試合を観戦していたキルロイという男が、モデルとなったのではないか」という説である。長い鼻が特徴的なボストン在住のキルロイは、大のレッドソックス・ファンであり、学校を抜け出しては、フェンウェイパークのレフトスタンド側の壁越しに試合を観戦していた。第二次世界大戦中、そんな彼にも召集令状が届き、彼は砲撃手となった。ノルマンディー上陸作戦で彼の部隊がフランスに赴任した時、そのフランスの司令官シャルル・ド・ゴールに非常によく似た長い鼻が、ドワイト・D・アイゼンハワー最高司令官の目に止まり、彼はド・ゴールの偽物を演じるように命じられる。フランス軍服を着た数人の兵士と共にド・ゴールに成りきったキルロイは、悠然とポーズを取り、敵のスパイを引き付けた。結果、敵軍の戦力は分散され、手薄となったところを連合軍本体が攻め入り、作戦は成功を収めた。

この時、彼の仲間は無事に生還したキルロイを祝し、至る所に「Kilroy was here」という落書きをしたため、それが後に広まったものとされている。その後、戦後退役した彼は、愛するレッドソックスをグリーンモンスターの上から眺め、応援し続けたという。

現在の「キルロイ参上」

アメリカで有名な謎の落書き。「キルロイ参上」|ブログインデックス|画像ID:27

現在でも「キルロイ参上」の落書きは、アメリカ合衆国の軍隊を中心に健在であり、1991年の湾岸戦争では、クウェートに残された対空砲にこの落書きが描かれている。

また奇想天外な場所に、この落書きがされているという憶測も飛び交っている。例えば、自由の女神像が持つ松明、パリのエトワール凱旋門、中国の盧溝橋、ポリネシアの小屋、果てはエベレストの山頂などであるが、その真相は定かではない。

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管理人から一言

日本でも、探せば見つかりそうですね…。

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