この世で最も恐ろしい怪談話?「牛の首」とは?|ブログインデックス

この世で最も恐ろしい怪談話?「牛の首」とは?|ブログインデックス|画像ID:19

「牛の首」とは、日本に古くから伝わる「この世で最も恐ろしい話」と噂されている怪談話のことである。その話はあまりにも恐ろしく、その話を聞いた者は恐怖に震え、三日も立たない内に死んでしまうという。その話の作者は多くの死者が出たことを悔やんでからは、誰にもその話をすることはなくなり、最後は静かに亡くなったと言われている。そのため、現在ではその話の内容を知る者は存在せず、「牛の首」という題名と「その話を聞いた者は、恐ろしさのあまり死んでしまう」という情報のみが人々に伝わっている。

スポンサーリンク

「牛の首」とは?

「牛の首」とは、日本に古くから伝わる「この世で最も恐ろしい話」と噂されている怪談話のことである。一説では、19世紀前半には、すでに人々の間でその話が囁かれていたとも言われている。

その話は他に類を見ないほど恐ろしく、その話を聞いた者は恐怖に震え、話の途中で失神する者もおり、その話を聞いてから三日も立たない内に死んでしまうという。その話の作者は多くの死者が出たことを悔やんでからは、被害を広げないために誰にもその話をすることはなくなり、最後は静かに亡くなったと言われている。

そのため、現在ではその話の内容を知る者は存在せず、「牛の首」という題名と「その話を聞いた者は、恐ろしさのあまり死んでしまう」という情報のみが人々に伝わっている。インターネット上などでは、この話の全貌を明らかにしようとする者も現れており、その話の存在自体が一種の都市伝説と化している状況である。

「牛の首」と疑われる話

この世で最も恐ろしい怪談話?「牛の首」とは?|ブログインデックス|画像ID:16

2002年5月21日、電子掲示板サイト「2ちゃんねる」にあるオカルト板にて、「牛の首」の真相と疑われる下記のような書き込みがされた。

「牛の首」の怪談話とは、「この世の中で一番怖く、また有名な話であるが、あまりの怖さゆえに語った者と聞いた者には死が訪れるため、その話がどんなものかは誰も知らない」という話である。私も長い間は、「こんなのは嘘だ、デタラメだ、一人歩きした噂話だ」と鷹を括っていたが…。まあ、お聞きいただきたい。

明治初期、廃藩置県にともなって全国の検地と人口調査が行われた。これは地価に基づく定額金納制度と徴兵による常備軍を確立するためであった。東北地方において、廃墟となった村を調査した役人は、大木の根本に埋められた大量の人骨と牛の頭らしき動物の骨を発見した。調査台帳には、特記事項としてその数を記し、検地を終えるとそこから一番近い南村へと調査を移した。

その南村での調査を終え、村外れにある宿に泊まった役人は、この村に来る前に出くわした不可解な骨のことを夕食の席で宿の主人に尋ねた。宿の主人は、「関係あるかどうかは分からないが…」と前置きをした上で次の話を語ったという。

天保3年より、数年にわたり大飢饉が襲った。これは俗に言われる「天保の大飢饉」である。当時の農書によれば、「倒れた馬にかぶりついて生肉を食い、行き倒れとなった死体を野犬や鳥が食いちぎる。親子兄弟においては、情けもなく食物を奪い合い、畜生道にも劣る」といった悲惨な状況であった。

天保4年の晩秋夜もふけた頃、この南村に異形の者が迷い込んできた。ふらふらと彷徨い歩くその身体は人であるが、頭部はまさしく牛のそれであった。数人の村人が捕まえようとしたその時、松明を手にした隣村のものが十数人現れ、鬼気迫る形相にて「牛追いの祭りじゃ、他言は無用」と口々に叫びながら、その異形の者を捕らえて闇に消えていった。

翌日には、村中でその話がひそひそと囁かれたが、誰も隣村まで確認しに行く者はいなかった。その日食うものもない飢饉の有様では、それどころではなかった。翌年には秋田藩より徳政令が出され、年貢の軽減が行われた。その折に隣村まで行った者の話によれば、すでにその村に人や家畜の気配はなかったとのことだった。それ以降、その村は「牛の村」と呼ばれたが、近づく者もおらず、今ではその名を呼ぶ者もいないという。

重苦しい雰囲気の中で宿の主人は話し終え、そそくさと後片づけのために席を立った。役人はその場での解釈は避け、役所に戻って調査台帳をまとめ終えた頃、懇意にしていた職場の先輩に意見を求めた。先輩は天保年間の村民台帳を調べながら、自らの考えを述べた。

「大飢饉の時には、餓死した者を家族が食したという話を聞いたことがある。しかし、その大木のあった村では遺骸だけではなく、弱った者から食らったのだろう。そして、生き人を食らう罪悪感を少しでも減らすため、牛追いの祭りと称し、牛の頭皮を被せた者を狩ったのではないだろうか。お前の見た人骨の数を考えると、その村に住んでいた村人の数にほぼ相当する。また牛骨も家畜の数と一致する。飢饉の悲惨さは筆舌に尽くしがたい。村民はもちろん、親兄弟も凄まじき修羅と化し、その様はもはや人の営みとは呼べないものだっただろう。このことは誰にも語らず、その村の記録は破棄し、廃村として届けよ。また南村に咎を求めることもできまい。人が食い合う悲惨さは繰り返されてはならないが、このことが話されるのもはばかりあることである」

この言葉を深く胸に受け止めた役人は、それ以後誰にもこの話は語らず、心の奥底へとしまい込んだ。日露戦争が激化する頃、病の床についたこの男は戦乱の世を憂い、枕元に孫たちを呼び寄せて切々とこの話を語ったという。

この孫の中の一人が私である。当時は気づかなかったが、祖父が亡くなった後にわかったことがあった。何の関係もないと思われた南村の者が、隣村の民全員を牛追いの祭りと称して狩り食らったのは真実である。そうでなければ、全員の骨を誰が埋められるものか…。

それゆえ、牛の首の話は繰り返されてはならないことだが、話されてもならないことであり、「呪い」の言葉がつくようになった。誰の口にも上らず、内容もわからないはずであるが、多くの人々が「牛の首」の話を知っている。物事の本質をついた話は、それ自体に魂が宿り、広く人の間に広まっていくものなのではないだろうか。

その真相とは?

この世で最も恐ろしい怪談話?「牛の首」とは?|ブログインデックス|画像ID:5

実は、この「牛の首」という怪談話は実際には存在しておらず、「その話を聞いた者は、恐ろしさのあまり死んでしまう」という情報が人々の好奇心を掻き立てるために、その題名だけが広まってしまったものである。

一説では、1965年に小説家の小松左京によって執筆された、その名も「牛の首」という同名の短編小説が、この話が広まるきっかけになったという意見があり、その説が有力だと見られている。その小説の内容とは、主に下記の通りである。

「今までいくつも怖い話を聞いてきたけれど、一番すごいのは…」
「ああ、あれね…」
「『牛の首』の話」
「あれは本当にすごいね」
「あれはすごいばかりじゃなく、後味が悪い…」

数人が話しているところに、何も知らない男が尋ねてくる。

「それは、一体どんな話なんですか?」
「あなた…知らないんですか?」
「聞かない方がいいんじゃないかな…」
「聞いた者には、必ず悪いことが起きると言われているんですよ」
「悪いことが起きても構わないので、誰か教えてください」

しかし、皆が「どうしても言えない」、「思い出すのも嫌だ」、「誰か他の人に聞いてくれ」と口を濁して答えてくれない。他の人にも聞いてみると、この話を知っている人は意外と多いことがわかった。

「あれは良くできた話ですよ」
「あれは話として最高によくできてます」
「とにかく、あんなに恐ろしい話は聞いたことがない…」

しかし、いざ肝心の話の内容を聞こうとすると、彼らは言い合わせたように顔色を変え、口をつぐんでうつむいてしまう。

何とか話の出処を突き止めると、ミステリー作家である大家の先生へと行きついた。その話は、もともとは中央アジアかどこかの話だったらしい。先生のところに押しかけ、「話を聞かせてほしい」と懇願すると、彼は恐怖と狼狽の色を浮かべる。

「きょ、今日は用事があるから、明日にしよう…」

翌日、訪問すると先生は急用ができたという理由で外国へと長期旅行に出かけていた。

そこで男は驚愕の事実を知ることになる。それは「牛の首」という題名と「非常に恐ろしい話」ということだけわかっているが、その話の内容は誰も知らないのだ。そういえば、皆確かに言っていた。あんなにすごい話は「聞いたことがない」と…。

題名とその恐ろしさだけが伝わっていて、実際は誰も聞いたことがない話。どんな話か知らないのに、その恐怖だけが生き続けている話。

そして、男はこの怪談話を知らない人に広めていく…。

また電子掲示板サイト「2ちゃんねる」にある、オカルト板に書き込みされた話については、「牛の首」という話が「実際には存在しない」ことを踏まえた上で、読んだ人が楽しめるように創作された話だと考えられる。

もし、周りにこの手の話についてあまり詳しくない知り合いがいる方などは、「牛の首」の話をそれとなく伝えてみてはいかがだろうか。

関連動画

管理人から一言

何だか、勿体ぶっちゃってすみません…。

「牛の首」とは?

「牛の首」とは、日本に古くから伝わる「この世で最も恐ろしい話」と噂されている怪談話のことである。一説では、19世紀前半には、すでに人々の間でその話が囁かれていたとも言われている。

その話は他に類を見ないほど恐ろしく、その話を聞いた者は恐怖に震え、話の途中で失神する者もおり、その話を聞いてから三日も立たない内に死んでしまうという。その話の作者は多くの死者が出たことを悔やんでからは、被害を広げないために誰にもその話をすることはなくなり、最後は静かに亡くなったと言われている。

そのため、現在ではその話の内容を知る者は存在せず、「牛の首」という題名と「その話を聞いた者は、恐ろしさのあまり死んでしまう」という情報のみが人々に伝わっている。インターネット上などでは、この話の全貌を明らかにしようとする者も現れており、その話の存在自体が一種の都市伝説と化している状況である。

「牛の首」と疑われる話

この世で最も恐ろしい怪談話?「牛の首」とは?|ブログインデックス|画像ID:16

2002年5月21日、電子掲示板サイト「2ちゃんねる」にあるオカルト板にて、「牛の首」の真相と疑われる下記のような書き込みがされた。

「牛の首」の怪談話とは、「この世の中で一番怖く、また有名な話であるが、あまりの怖さゆえに語った者と聞いた者には死が訪れるため、その話がどんなものかは誰も知らない」という話である。私も長い間は、「こんなのは嘘だ、デタラメだ、一人歩きした噂話だ」と鷹を括っていたが…。まあ、お聞きいただきたい。

明治初期、廃藩置県にともなって全国の検地と人口調査が行われた。これは地価に基づく定額金納制度と徴兵による常備軍を確立するためであった。東北地方において、廃墟となった村を調査した役人は、大木の根本に埋められた大量の人骨と牛の頭らしき動物の骨を発見した。調査台帳には、特記事項としてその数を記し、検地を終えるとそこから一番近い南村へと調査を移した。

その南村での調査を終え、村外れにある宿に泊まった役人は、この村に来る前に出くわした不可解な骨のことを夕食の席で宿の主人に尋ねた。宿の主人は、「関係あるかどうかは分からないが…」と前置きをした上で次の話を語ったという。

天保3年より、数年にわたり大飢饉が襲った。これは俗に言われる「天保の大飢饉」である。当時の農書によれば、「倒れた馬にかぶりついて生肉を食い、行き倒れとなった死体を野犬や鳥が食いちぎる。親子兄弟においては、情けもなく食物を奪い合い、畜生道にも劣る」といった悲惨な状況であった。

天保4年の晩秋夜もふけた頃、この南村に異形の者が迷い込んできた。ふらふらと彷徨い歩くその身体は人であるが、頭部はまさしく牛のそれであった。数人の村人が捕まえようとしたその時、松明を手にした隣村のものが十数人現れ、鬼気迫る形相にて「牛追いの祭りじゃ、他言は無用」と口々に叫びながら、その異形の者を捕らえて闇に消えていった。

翌日には、村中でその話がひそひそと囁かれたが、誰も隣村まで確認しに行く者はいなかった。その日食うものもない飢饉の有様では、それどころではなかった。翌年には秋田藩より徳政令が出され、年貢の軽減が行われた。その折に隣村まで行った者の話によれば、すでにその村に人や家畜の気配はなかったとのことだった。それ以降、その村は「牛の村」と呼ばれたが、近づく者もおらず、今ではその名を呼ぶ者もいないという。

重苦しい雰囲気の中で宿の主人は話し終え、そそくさと後片づけのために席を立った。役人はその場での解釈は避け、役所に戻って調査台帳をまとめ終えた頃、懇意にしていた職場の先輩に意見を求めた。先輩は天保年間の村民台帳を調べながら、自らの考えを述べた。

「大飢饉の時には、餓死した者を家族が食したという話を聞いたことがある。しかし、その大木のあった村では遺骸だけではなく、弱った者から食らったのだろう。そして、生き人を食らう罪悪感を少しでも減らすため、牛追いの祭りと称し、牛の頭皮を被せた者を狩ったのではないだろうか。お前の見た人骨の数を考えると、その村に住んでいた村人の数にほぼ相当する。また牛骨も家畜の数と一致する。飢饉の悲惨さは筆舌に尽くしがたい。村民はもちろん、親兄弟も凄まじき修羅と化し、その様はもはや人の営みとは呼べないものだっただろう。このことは誰にも語らず、その村の記録は破棄し、廃村として届けよ。また南村に咎を求めることもできまい。人が食い合う悲惨さは繰り返されてはならないが、このことが話されるのもはばかりあることである」

この言葉を深く胸に受け止めた役人は、それ以後誰にもこの話は語らず、心の奥底へとしまい込んだ。日露戦争が激化する頃、病の床についたこの男は戦乱の世を憂い、枕元に孫たちを呼び寄せて切々とこの話を語ったという。

この孫の中の一人が私である。当時は気づかなかったが、祖父が亡くなった後にわかったことがあった。何の関係もないと思われた南村の者が、隣村の民全員を牛追いの祭りと称して狩り食らったのは真実である。そうでなければ、全員の骨を誰が埋められるものか…。

それゆえ、牛の首の話は繰り返されてはならないことだが、話されてもならないことであり、「呪い」の言葉がつくようになった。誰の口にも上らず、内容もわからないはずであるが、多くの人々が「牛の首」の話を知っている。物事の本質をついた話は、それ自体に魂が宿り、広く人の間に広まっていくものなのではないだろうか。

その真相とは?

この世で最も恐ろしい怪談話?「牛の首」とは?|ブログインデックス|画像ID:5

実は、この「牛の首」という怪談話は実際には存在しておらず、「その話を聞いた者は、恐ろしさのあまり死んでしまう」という情報が人々の好奇心を掻き立てるために、その題名だけが広まってしまったものである。

一説では、1965年に小説家の小松左京によって執筆された、その名も「牛の首」という同名の短編小説が、この話が広まるきっかけになったという意見があり、その説が有力だと見られている。その小説の内容とは、主に下記の通りである。

「今までいくつも怖い話を聞いてきたけれど、一番すごいのは…」
「ああ、あれね…」
「『牛の首』の話」
「あれは本当にすごいね」
「あれはすごいばかりじゃなく、後味が悪い…」

数人が話しているところに、何も知らない男が尋ねてくる。

「それは、一体どんな話なんですか?」
「あなた…知らないんですか?」
「聞かない方がいいんじゃないかな…」
「聞いた者には、必ず悪いことが起きると言われているんですよ」
「悪いことが起きても構わないので、誰か教えてください」

しかし、皆が「どうしても言えない」、「思い出すのも嫌だ」、「誰か他の人に聞いてくれ」と口を濁して答えてくれない。他の人にも聞いてみると、この話を知っている人は意外と多いことがわかった。

「あれは良くできた話ですよ」
「あれは話として最高によくできてます」
「とにかく、あんなに恐ろしい話は聞いたことがない…」

しかし、いざ肝心の話の内容を聞こうとすると、彼らは言い合わせたように顔色を変え、口をつぐんでうつむいてしまう。

何とか話の出処を突き止めると、ミステリー作家である大家の先生へと行きついた。その話は、もともとは中央アジアかどこかの話だったらしい。先生のところに押しかけ、「話を聞かせてほしい」と懇願すると、彼は恐怖と狼狽の色を浮かべる。

「きょ、今日は用事があるから、明日にしよう…」

翌日、訪問すると先生は急用ができたという理由で外国へと長期旅行に出かけていた。

そこで男は驚愕の事実を知ることになる。それは「牛の首」という題名と「非常に恐ろしい話」ということだけわかっているが、その話の内容は誰も知らないのだ。そういえば、皆確かに言っていた。あんなにすごい話は「聞いたことがない」と…。

題名とその恐ろしさだけが伝わっていて、実際は誰も聞いたことがない話。どんな話か知らないのに、その恐怖だけが生き続けている話。

そして、男はこの怪談話を知らない人に広めていく…。

また電子掲示板サイト「2ちゃんねる」にある、オカルト板に書き込みされた話については、「牛の首」という話が「実際には存在しない」ことを踏まえた上で、読んだ人が楽しめるように創作された話だと考えられる。

もし、周りにこの手の話についてあまり詳しくない知り合いがいる方などは、「牛の首」の話をそれとなく伝えてみてはいかがだろうか。

関連動画

管理人から一言

何だか、勿体ぶっちゃってすみません…。

厳選!話題の記事