「臓器くじ」複数の命を救うために、人を殺すことは許されるのか。|ブログインデックス

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「臓器くじ」とは、哲学者のジョン・ハリスによって提案された、「多くの人の命を助けるために、人を殺すことは、許されるのだろうか?」という、倫理学における思考実験のことである。日本では「サバイバル・ロッタリー」とも呼ばれている。

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この思考実験の詳細

「臓器くじ」の思考実験ついては、下記のような空想上の社会制度をテーマとして議論される。

  1. 健康な人の中から、くじ引きで一人を選び出し、その人を殺す
  2. その人の体内から全ての臓器を取り出し、臓器移植を必要としている、別の人々に配る

つまり、この「臓器くじ」という制度によって、選び出された一人は死んでしまうが、その代わりに臓器移植を必要としている複数人の命が助かるのである。この思考実験では、「このような行為が論理的に許されるのだろうか?」という問題をその論点としている。

またこの問題は、下記のことを前提とする。

  • くじ引きは公平に行われ、不正行為が起きることはない
  • 移植手術は絶対に成功し、適合性の問題なども解決している
  • 人を殺す以外に臓器を得る手段は無く、死体移植や人工臓器は使えない

この思考実験に対する議論

「臓器くじ」複数の命を救うために、人を殺すことは許されるのか。|ブログインデックス|画像ID:24

この思考実験は世界中の倫理学者の間で議論が行われているが、その主な意見と反論は下記の通りである。

  • 事故に遭って死ぬことより、積極的に人を殺すことの方が罪が重い

→ 反論:臓器を必要としている人をそのまま死なせるのは、見殺しにするのと同じことであり、どちらにしても人を殺すことには変わりない

  • 人の生死は運命によるべきであり、人が「誰が死ぬか」を決めるべきではない

→ 反論:臓器を移植せずに人を死なせることも、人が「誰が死ぬか」を決めているのではないか

  • 臓器を必要としている人をそのまま死なせることと、健康な人を殺して臓器を奪い取ることは、その意味が異なる

→ 反論:その過程に関係無く、最終的に多数の命を救うことに比べれば、一人の犠牲に対する意味の違いなどは大きく取り上げるに値しない

  • くじ引きの際に、一流の芸術家やスポーツマンなどが選ばれた場合、どうするのか

→ 反論:臓器を貰う側にも、一流の芸術家やスポーツマンなどである場合がある

  • 社会全体としては、臓器移植を必要としている重病人の生存より、健康な一人の生存の方が有益である

→ 反論:健康な一人の人間が社会全体に与える損益は、その個人の生命活動そのものとは無関係である

  • 臓器提供はしたい人が行うべきであり、臓器を提供したくない人が強制されるのは、人権侵害になる

→ 反論:死ぬ人数が少ない方が、より多くの人権を保護することに繋がる

「功利主義」という考え方

この思考実験は、「最大多数の最大幸福」を基本原理としている、「功利主義」という考え方に対する、ジョン・ハリスからの問題定義でもある。何故なら、誰もが疑問を抱くはずのこの制度に対して、功利主義の立場であれば、善であるとみなさざるを得ないからである。

また現実社会において、このような制度が施行されていない理由としては、この倫理的な問題以前に技術的な問題で不可能とされているためである。

関連動画

管理人から一言

「宝くじ」なら、当たってほしいんですけどね…。

この思考実験の詳細

「臓器くじ」の思考実験ついては、下記のような空想上の社会制度をテーマとして議論される。

  1. 健康な人の中から、くじ引きで一人を選び出し、その人を殺す
  2. その人の体内から全ての臓器を取り出し、臓器移植を必要としている、別の人々に配る

つまり、この「臓器くじ」という制度によって、選び出された一人は死んでしまうが、その代わりに臓器移植を必要としている複数人の命が助かるのである。この思考実験では、「このような行為が論理的に許されるのだろうか?」という問題をその論点としている。

またこの問題は、下記のことを前提とする。

  • くじ引きは公平に行われ、不正行為が起きることはない
  • 移植手術は絶対に成功し、適合性の問題なども解決している
  • 人を殺す以外に臓器を得る手段は無く、死体移植や人工臓器は使えない

この思考実験に対する議論

「臓器くじ」複数の命を救うために、人を殺すことは許されるのか。|ブログインデックス|画像ID:24

この思考実験は世界中の倫理学者の間で議論が行われているが、その主な意見と反論は下記の通りである。

  • 事故に遭って死ぬことより、積極的に人を殺すことの方が罪が重い

→ 反論:臓器を必要としている人をそのまま死なせるのは、見殺しにするのと同じことであり、どちらにしても人を殺すことには変わりない

  • 人の生死は運命によるべきであり、人が「誰が死ぬか」を決めるべきではない

→ 反論:臓器を移植せずに人を死なせることも、人が「誰が死ぬか」を決めているのではないか

  • 臓器を必要としている人をそのまま死なせることと、健康な人を殺して臓器を奪い取ることは、その意味が異なる

→ 反論:その過程に関係無く、最終的に多数の命を救うことに比べれば、一人の犠牲に対する意味の違いなどは大きく取り上げるに値しない

  • くじ引きの際に、一流の芸術家やスポーツマンなどが選ばれた場合、どうするのか

→ 反論:臓器を貰う側にも、一流の芸術家やスポーツマンなどである場合がある

  • 社会全体としては、臓器移植を必要としている重病人の生存より、健康な一人の生存の方が有益である

→ 反論:健康な一人の人間が社会全体に与える損益は、その個人の生命活動そのものとは無関係である

  • 臓器提供はしたい人が行うべきであり、臓器を提供したくない人が強制されるのは、人権侵害になる

→ 反論:死ぬ人数が少ない方が、より多くの人権を保護することに繋がる

「功利主義」という考え方

この思考実験は、「最大多数の最大幸福」を基本原理としている、「功利主義」という考え方に対する、ジョン・ハリスからの問題定義でもある。何故なら、誰もが疑問を抱くはずのこの制度に対して、功利主義の立場であれば、善であるとみなさざるを得ないからである。

また現実社会において、このような制度が施行されていない理由としては、この倫理的な問題以前に技術的な問題で不可能とされているためである。

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管理人から一言

「宝くじ」なら、当たってほしいんですけどね…。

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